ウエットスーツの歩み

 ウエットスーツ誕生の経緯は定かではありませんが、第二次世界大戦中に欧米の海軍によって、戦略的装備としてのスクーバと共に誕生したといわれます。

 そもそも潜水服は、ドライスーツ式でした。あの重装なヘルメット潜水のダイバーが着ている服です。スクーバがやっと日本に入ってきた頃は、ゴム引きの布(ゴム合羽)で作った潜水服を着ていましたが、今のような給気弁がないので、これで潜ると圧力によって潜水服がしぼられスクイズを起こし、浮力の減少による動作性の悪さもあったとのことです。このようにスクイズ防止や動作性の改善という面から開発されたのがウエットスーツです。

 1960年には、国産のスポンジによるウエットスーツが開発され、伊豆大島の海女がこれを着てあわびを採ったのが最初といわれています。スクーバ愛好者ばかりでなく、特に、軽便なマスク潜水や海女に急速に広がりました。ちょうど、ダッコちゃん人形が流行った時期と重なり、海女も同じ黒装束になったので、古い海女、特に伊豆方面の海女たちはウエットスーツのことをダッコちゃんと呼んでいました。

 余談ですが、ウエットスーツを着れば暖かく長く海に入っていられます。必然的に漁獲量も増えたことでしょう。これが猟師さんにとっては、インパクトが強かったのでしょう。スクーバ愛好者たちは、ウエットスーツを着て、水中で息ができるものを使って潜ります。そして中には魚や貝を採る人もいて、猟師VSダイバーの対立も生まれ深まり、今のように平和にダイビングできる時代になるまでには曲折がありました。

 猟師VSダイバーの対立が和らぎ、レジャーやスポーツとしてのダイビングが盛んになるにつれて、ウエットスーツの強度やファッション性も追求され、1964年頃からスポンジの表面に繊維編物を貼ったジャージ仕様のウエットスーツも発売されました。1978年には、今日のレジャー用ウエットスーツとして最もポピュラーなポリウレタン繊維(一般的にライクラジャージと呼ばれている)を表面に貼り、襟、手足首、裾などの裁断面をパイピングした、より良いものが市場に出まわってくるようになりました。