日本の潜水器

 海に潜ることは、人間にとって大きな夢のひとつでした。そのための工夫は、さかのぼれば紀元前から営々と続いてきました。なかでも、潜水者が、自分の吸う空気を自分で持っていけたら、もっと素晴らしいことだと思っていたでしょう。自分の吸う空気を自分で持つ、このような潜水器を「自給式潜水器」といいます。

 世界では、1600年代半ば、トリチェリ、パスカル、ボイルなどと同時代のゲーリケが圧縮空気を作り出すコンプレッサーを発明しました。コンプレッサーの発明は、この夢を現実なものに一歩すすめました。以来、イギリス、イタリア、フランス、ドイツでは自給式潜水器の開発がなされ、今のスクーバに近づいていきました。

 日本では、明治時代にヘルメット潜水器が導入されてる潜水産業が盛んになりにつれて自給式の潜水器が開発されるようになりました。

 【大串式潜水器】 
 日本においては、1919年(大正8年)大串友治という人が、歯で噛むと空気が出てくる装置(バルブ)を考え出し、そこから出てきた空気をマスクに貯めて、空気を鼻から吸って口から出すという自給式潜水器を作りました。これは欧米においても画期的であったらしく特許も取れました。
 そして、1924年(大正13年)、片岡弓八という人が、この潜水器の改良したものを使って、地中海の水深70メートルの海底に沈んだ八坂丸から金塊を引上げました。しかし、この潜水器は日本国内で、あまり普及しませんでした。

 【浅利式潜水器】 
 1937年(昭和12年)、浅利熊記という人は、マスクに空気嚢(袋)を取りつけ、呼吸動作に連動して自動的に吸気圧が調整されるj自給式潜水器を作りました。(スクーバダイビングの歴史-自給式潜水器の過去・現在・未来-:関 邦弘)

 日本も欧米に負けず劣らず潜水器が開発されましたが、今のスクーバに越されたのは、ダイヤフラムによって分けられた気室圧と水中環境圧の差で作動するデマンド弁に、気が付かなかったからでしょう。しかし、過去そして現在と続く日本の潜水技術・潜水文化は劣るものでなく、むしろ世界の一角を担っています。

 オット・フォン・ゲーリゲ(Otto von Guericke 1602〜1686 独 マグデブルク市長)
 1654頃初めて真空ポンプを作り、2つの半球を合わせて真空にし、馬16頭でひっぱってもはがせないデモンストレーションを行う。真空中では、音は伝わらず、鳥は死に、炎が消えることも示す。この実験を知ったボイルは、気体実験を開始する。(オヤオヤ文庫:量子力学の歴史)