酸素欠乏症(アノキシア)

【二酸化炭素中毒(炭酸ガス中毒)】

 スキンダイビングで留意しなければならない重要なことを、この章の最後にお話しておきます。
 スノーケルでの浅い呼吸や、水面休憩をとらないで連続的にスキンダイビングをしていると、あとで頭痛がしたりします。原因は、血中の二酸化炭素が蓄積されたための二酸化炭素中毒のひとつの症状です。

 これを防ぐには、スノーケルの呼吸で説明したように、よく換気するという呼吸法をマスターしてください。また、このような症状を感じたなら、陸に上がって充分に休んでください。

 スキンダイビングやスクーバダイビングでも、換気することを意識して呼吸していれば重い二酸化炭素中毒にはかかりません(注1)

 しかし、スキンダイビングは「息を止めて」いますから、その間どこからも空気は供給されません。肺や血中にある酸素はどんどん消費され、血中の二酸化炭素は増えていきます。スキンダイビング、すなわち「息を止める、息をこらえる」ということについては、酸素が減る、二酸化炭素が増える、の関係が大きな問題になります。

(注1)

スクーバダイビングでは、換気の悪い呼吸をしていると二酸化炭素が体内に蓄積して、他の障害(窒素酔い・減圧症)にかかりやすくなります。

 

【酸素欠乏(アンキシア)】

 ちょっと、おさらいをしておきましょう。呼吸をしている、呼吸をしたいという欲求は、二酸化炭素の作用です。

 さて、今スキンダイビングで潜ったとします。青く美しい世界へ吸いこまれるように、肉体は躍動し、心は海中の景観に感嘆していることでしょう。自然を楽しんでいるにもかかわらず、つまらないことを言うようですが、この素敵な活動は、体内で、酸素が消費され二酸化炭素になる過程のエネルギーの放出によるものです。しかし、いつまでも息をこらえて留まっているわけにはいきません。苦しくなって水面へと戻ります。

 苦しくなって、つまり息がしたいという欲求は、エネルギー放出によってできる二酸化炭素が、呼吸中枢を刺激しているためなのです。酸素が少なくなったことでも呼吸中枢は刺激されますが、二酸化炭素の方がはるかに速く鋭く作用します。

 水面に出たら、次のスキンダイビングのために、からだに溜まった二酸化炭素を出すために、水面休憩を充分とってから次のダイビングに移って下さい。

 でも、「もうちょっと、長く潜っていられないか」、と思うでしょう。何々できないか、こういう想いは人間の常であり、この前進意欲が、不可能といわれたことも可能にし、終わりなく続いています。

 息を止める時間は、練習や訓練によって伸ばすことができるようになります。その理由は、二酸化炭素に対する呼吸中枢の反応を鈍くさせることができるからです。からだは、過剰二酸化炭素への順応(注2)が可能なのです。

 ここで問題になるのは、二酸化炭素への順応ができても、息がしたいと思ったときに肺内に酸素が残っているか、ということなのです。すなわち、血液に酸素が取り込まれるだけの力(肺胞気酸素分圧と血中酸素分圧の差すなわち圧差)があるか、なのです。肺内の酸素分圧が小さいと(空気中の酸素濃度にして10〜6%)、アッという間に気を失います。これをブラックアウトといいます。よく地下の工事をする人が、入ったとたん、死亡したということを耳にしますが、原因の多くは、もともとが酸素の少ないところへ入っての酸素欠乏です。スキンダイビングの場合は、空気はどこからも補給されず息をこらえているので、肺内の酸素が消費されるための酸素欠乏です。

 残念ですが、私たちは、自動車の燃料メーターのようなものは持っていませんから、スキンダイビング中の自分の体内の酸素や二酸化炭素の分圧がどのくらいあるかは知る方法はありません。ですから、ブラックアウトにならないためには、どのようなことに注意しなければならないか、知っておく必要があります。結論からいいますと、

1.

我慢に我慢をかさねた無理な息こらえは、しないこと。

2.

潜る前に過度なハイパーベンチレーションを、しないこと。


(注2)

COへの耐性ともいいます。

 

[1について]

 左図は、酸素と二酸化炭素の分圧が代謝によって変わっていく様子を表したものです。
 二酸化炭素に順応することによって、息を止めていられる時間を伸ばすことができます。でも、無限に伸ばすことはできません。肺胞気の二酸化炭素分圧が60mmHg(注3)(気中濃度として7%)くらいが限界のようです。

 この限界にくると、重い二酸化炭素中毒を起こします。前に、スキンダイビングでは二酸化炭素中毒にはかかりにくいといいましたが、その理由は、二酸化炭素は、たいへん水に溶けやすい性質なので、体内で作られた二酸化炭素は血液に溶けこみ、肺胞気の二酸化炭素分圧はここまで上昇しにくいのです。たいていの人は、そこまで息を止めていることは、苦しくてできないので水面に戻ります。

 それでも、我慢に我慢を重ねて息を止めていたとします。肺の酸素はどんどん無くなりますから、酸素欠乏へと自ら向っているわけです。

 無理な息こらえは、絶対に禁物です。

 苦しさを我慢して、それを通り越すと、人体は死の苦しさを和らげるために、エンドルフィンという物質が分泌されるといいます。この物質は、怪我をしたり、ストレスがかかったりしたときに人体が作り出す鎮痛鎮静剤でモルヒネに近い恍惚感があるといいます(注4)

[2について]

 息を長く止めているには、二酸化炭素に順応してゆく以外にも方法があります。自発的に息をしたいという呼吸中枢からの指令を遅らせばいいのです。何回も深呼吸をすると、今からだに持っている二酸化炭素を追い出すことができます。

 [1]は、二酸化炭素に順応して、息をしたいという欲求の上限を開拓することでしたが、これは、体内の二酸化炭素を追い出して、潜りはじめるときの二酸化炭素レベルを下方に向わせて、息を止めている時間を長くするものです。何回も深呼吸をして、体内の二酸化炭素を追い出すことを、ハイパーベンチレーションといいます。

 何だ、こんな簡単なことで、スキンダイビングで潜っていられる時間が増えるなんて、いいじゃないか、と喜ばないでください。大きな落とし穴があります。

 さて、ハイパーベンチレーションをしてスキンダイビングで潜っていきました。いつもより長く潜っていられそうだ、と実感します。その間、身体の中では酸素が消費され二酸化炭素が作られていますが、潜る前にからだの二酸化炭素を追い出してしまっているので、いつもなら、そろそろ水面に戻らなければいけないな、という時間が過ぎているにもかかわらず、まだ平気です。肺の酸素がどんどん無くなっているのに、呼吸中枢が指令を出す二酸化炭素分圧に達していません。「俺って、私って、こんなに潜れるんだ」と嬉しくなります。そしてやっと、息をしなさいと呼吸中枢からの指令が、苦しくなったという感覚で届いてきます。そして水面へと向います。

 肺は風船のようなものですから、スキンダイビングで潜っていけば、肺の体積は小さくなり、水面に戻れば元の大きさになります。「気体の圧力と体積」のところを思い出してください。

 浮上するにつれ肺の体積は元に戻っていきます。つまり潜っているときよりも肺の体積は大きくなっていきます。このことは、肺の中にある酸素の密度が下がることですから、大きくなった肺をまかないきれる酸素の力(肺胞酸素分圧と血中酸素分圧の差)があるか、はなはだ疑問で、まして酸素は使われてしまっているのですから、限りなくゼロなのかもしれません。この状態になれば、一瞬にしてブラックアウトに陥ります。
 水の中でブラックアウトになったら、思っただけでもゾっとします。上の図は、二酸化炭素による呼吸中枢への刺激が、ハイパーベンチレーションによっての時間の遅れを示したものです。

 ハイパーベンチレーションも、禁物です。
 
スキンダイビングによるブラックアウトは、ベテランに多いといわれます。二酸化炭素への順応が限界間近にきているかも知れませんし、そういう人が、ハイパーベンチレーションをすれば酸素欠乏になる可能性が更に高くなります。

(注3)

スタンリー・マイルズ著(町田喜久雄訳) 「潜水医学入門」。

(注4)

お恥ずかしい話しですが、私もスクーバダイビング中に空気の供給が途切れ、これに似た状態に入り三途の川を渡るところまで行きました。幸い戻ることができたので、このあたりの恍惚感は知っています。

 

【では、どうしたらいいのか】 

 無理な息こらえやハイパーベンチレーションをしないで、長く潜っているスキンダイバーがいます。観察していると、無駄な動きを一切排除して、酸素を温存しているといった感じの潜り方をしています。

 特に、水面を離れるとき、水面に泡ひとつ残さないといった姿勢のとり方、ちょうど鯨が尾びれを立ててスっと潜るように、水中に消えていきます。また、水中ではフィンを無闇にバタバタ動かさない、慣性力を生かした泳ぎをしています。
 前にもいいましたが、スポーツは、「うまさ」と「美しさ」が一体となっています。鯨の潜り方をイメージしたり、水中での動体物性(慣性力)を味方にしたりして、生理的な負担をかけないことが大切です。

 

【ざつがく事典】

 イルカやあざらしや鯨の潜水哺乳動物も、言ってみれば素潜りですが、人間とは生理的に潜る方法が違うようです。
 人間は、息をいっぱい吸って潜り、水面に出るまで息は吐き出しません。でも、あざらしは潜る前に息を吐き出してしまいます。またイルカや鯨は息を吐きながらもぐります。
 それなのに、なぜあんなに深くそして長い時間潜っていられるのかというと、これらの動物は体重に比べて非常の大きい呼吸量を持っていて、人間の2倍から8倍もあるということです。
 ネズミイルカや鯨は、一呼吸毎に肺内の空気を完全にカラにします。これによって一呼吸毎に大きなガス交換ができるので、呼吸数を減少させることが可能になったといわれます。
 また、呼気中の二酸化炭素は人間の2倍にも達し、これは酸素をほとんど活用させる能力がそなわっているということを意味し、これによって、潜水哺乳動物は深くまた長く潜れるといわれます。